2024年10月20日〜22日,27日〜30日に、西日本を旅してきました!!
行き先は、以下の通りです。
- 20日:彦根城
- 21日:岡山県
- 22日:広島県
- 23-27日:仕事(ホテルに宿泊)
- 27日午後:山口県
- 28日:島根県
- 29日:島根県,鳥取県
- 30日:天橋立
名古屋から出発し、車中泊しながら各地を旅しました。
この記事では、10月21日に足を運んだ岡山県で見聞きしたものをまとめています。
モデルコースの参考になれば、幸いです。
また、この記事は前回の続きとなっていますので、↓もぜひご覧ください。
道の駅 一本松展望園
道の駅 一本松展望園で車中泊しました。
起床後に朝の鳥見を兼ねて散歩。
景色が良さそうな、中央展望台を目指しました。
そこから見える景色は格別!!
瀬戸内海の美しい光景を目の当たりにできました。
最高のスタートです。
朝ご飯を食べてから身支度を整え、最初の目的地「岡山城」へ向かいます。
岡山城
岡山県で最初の観光場所に選んだのは、岡山城。
岡山を代表する観光地ですよね。
実際に見聞きしたものを記す前に、彦根城の概要について紹介します。
岡山城とは
岡山城は、岡山県岡山市北区に位置する歴史的な城郭です。
その特徴的な黒い外観から「烏城(うじょう)」とも称され、旭川の西岸にそびえ立っています。
日本三名園の一つである、後楽園と隣接。
観光スポットとして、多くの人々に親しまれています。
岡山城の起源は、戦国時代の1573年。
宇喜多直家が築いた城郭とされています。
その後、直家の子である宇喜多秀家が1587年から1597年にかけて大規模な改修・拡張を行い、現在の城郭の基礎を築きました。
なぜ黒い?
岡山城といえば、この黒さ。
なぜ、こんなにも黒いのでしょうか?
その答えは、外壁の成分にあります。
外壁の主な成分は、松煙と柿渋です。
この2つが合わさると、防腐・防虫効果が高まります。
これら2つを墨と混ぜ、できた液体を板に塗って「下見板」を作製。
その下見板を外壁に用いることで、黒い城が完成しました。
観光
車を停めて、烏城公園へ。
階段を登って、上を目指します。
その道中で、お城といえばの防御機構「狭間」が出迎えてくれました。
狭間:弓や鉄砲を打つ小窓。丸とか四角の形をしている。
岡山城へ攻め込む、兵士の気持ちになれますね。
不明門
階段を登りきり、不明門の目の前へやってきました。
不明門と書いて「あかずのもん」。
これは読めませんね…。
不明門は、明治時代に廃城令で一度取り壊されましたが、1966年に天守と一緒に再建されました。
この門は通常閉ざされていて、藩主の住む本段を守る役割があったそうです。
そのため、「あかずのもん」と呼ばれていました。
天守
不明門を抜けて、いよいよ本丸へ。
入場チケットを購入し、攻城といきます。
岡山城は、外観は3階建てですが、中は6階建てです。
いわゆる3層6階。
ちなみにB1階もあるので、7階建てと表現した方が良いかもしれない。
そのため、見た目のわりに中で時間を使うので、急ぎの方は注意してください。
天守内で何に時間を使うのかというと、解説展示です。
岡山城の天守内は博物館状態になっており、おびただしい数の解説展示が設置してあります。
しかも、全部分かりやすい!!
私は博物館や相当施設では、端から端まで文章を読むタイプなので、それはそれは時間を要しました…。
展示内容は、岡山城の特徴,藩主の活躍,街の成り立ち,刀剣や鎧など様々です。
姫路城と関連する展示もあるので、セットで訪れると満足度の高い旅になると思います。
行かれる方は、↓も合わせてご覧ください。
展示は読むものばかりでは、ありません。
刀を上下に振ったり
火縄銃を持ってみたりすることもできます。
このような触れる展示は、テンションが上がりますよね。
岡山後楽園
岡山城を満喫し終え、隣接する岡山後楽園へ!!
観光というよりかは、鳥見を楽しんだというべきかもしれません…。
岡山後楽園とは
岡山後楽園は、岡山県岡山市北区に位置する日本を代表する大名庭園の一つです。
日本三名園の一つとして知られています。
ちなみに、他の二つは石川県の兼六園と茨城県の偕楽園です。
後楽園は江戸時代の1700年に、岡山藩二代藩主の池田綱政によって築庭されました。
庭園の総面積は約13ヘクタールに及び、池泉回遊式庭園として設計されています。
庭園内には広大な芝生、池、茶室、能舞台、稲田や茶畑などが配置。
多様な景観を楽しむことができます。
戦災や洪水などの被害を受けた歴史もありますが、そのたびに修復・復元が行われました。
1952年には国の特別名勝に指定され、その美しさと歴史的価値が高く評価されています。
延養亭
後楽園内で鳥を見ながら練り歩いていると、大きな建物が見えてきました。
延養亭です。
普段は非公開となっています。
ちょうど特別公開されており、運良く入ることができました。
期間:令和6年10月21日~27日
延養亭は、藩主が居間として利用していた施設です。
中には能舞台もあり、娯楽施設としても機能していたようです。
能舞台:能や狂言を演じるための舞台
鳥見
上述した通り、後楽園では鳥見をメインにしていました。
森林,池,蓮など、意外と多様な環境が揃っています。
時期的にノゴマが入っていてもおかしくないので、ひたすら探していました。
ノゴマ:そういう名前の鳥です。
結果的に、小鳥は多く見られましたが、ノゴマは見られず…。
到着していても個体数は少ないので、しょうがないと思うことにします。
吉備津神社
後楽園を後にし、吉備津神社へ向かいました。
概要と見てきた内容は以下の通りです。
吉備津神社とは
吉備津神社は、岡山県岡山市北区吉備津に鎮座する神社で、備中国一宮として古くから信仰を集めています。
主祭神は大吉備津彦命であり、桃太郎伝説のモデルとなったとされる英雄です。
この神社は、全国でも珍しい「吉備津造」という独特の建築様式を持つ本殿で知られ、国宝に指定されています。
廻廊
吉備津神社には約400mにも及ぶ、木造の長い廻廊があります。
緩やかな坂道に沿って伸びており、風情がある廻廊でした。
その廻廊を利用して、吉備津神社 御竃殿,古墳,本宮社へアクセス可能です。
とはいえ、観光客の目的は長い廻廊そのもの。
廻廊から外れて、撮影している人が多かったです。
ブラタモリで紹介されただけありますね…笑
他にも
忘れちゃいけないのが、祈願トンネル!
大量の絵馬がかけられたトンネルで、文章の圧がすごいです笑
おみくじを引くところでは、桃太郎のイラストも!
倉敷美観地区
吉備津神社を一通り歩き終え、続いて倉敷美観地区へ。
伊勢神宮のおかげ横丁を彷彿とさせる雰囲気でした。
倉敷美観地区とは
倉敷美観地区は、岡山県倉敷市に位置する歴史的な街並みが美しく保存されたエリアです。
江戸時代から明治時代にかけての白壁の土蔵や伝統的な町家が立ち並び、石畳の道や倉敷川に架かる橋が風情を醸し出しています。
伝統的な日本の風景と近代美術や工芸が融合した独特の魅力を持ち、多くの観光客を魅了している場所です。
平日にも関わらず、多くの観光客で賑わっていました。
街並み
江戸から明治時代の町家や土蔵が多数残っており、倉敷美観地区の雰囲気を醸し出すのに貢献していました。
現在それらの建物は、店舗やギャラリー,カフェとして利用されています。
倉敷物語館
倉敷美観地区を全体的にザッと歩き終えたので、倉敷物語館へ。
ここでは倉敷の歴史や、倉敷の文化財などを学ぶことができました。
休憩所としても機能しているため、体を休めるのにも最適です。
倉敷アイビースクエア
倉敷アイビースクエアは、近代化産業遺産に指定されている赤レンガの建物です。
倉敷紡績の発祥工場であり、日本に残存する最も古い紡績工場の一つとなっています。
紡績といえば、日本の産業革命で主導となった産業の一つですよね。
日本を支えた産業であり、製糸業とともに日本を発展させました。
そんな歴史ある建物ですが、現在はお土産店や工房などに利用されています。
ちなみに、建物を覆っている「つた」から、甘味料を採っていたそうです。
樹液を煮詰めて甘味料を採り、砂糖がなかった時代に珍重されていました。
また、西日による室温上昇を防ぐ目的もあったようです。
阿智神社
せっかく倉敷美観地区にいるので、寄っておきたいのが阿智神社。
創祀1700年を超える古社で、蓬莱様式の磐坐や、県指定天然記念物「阿知の藤」等があります。
主祭神は、宗像三女神です。
航海の安全を司っています。
メインのご利益は、航海安全と交通安全。
この先も、長距離運転をしなければならないため、本当にありがたいです。
他にも
阿智神社は、高台に位置しているため、そこから見える景色が非常に素晴らしいです。
その分、階段も登らなければなりませんが…。
階段は、88段ある「米寿坂」,61段ある「還暦坂」,33段ある「厄除け坂」の3つがあります。
計182段の階段を登らなければならないので、ここへ足を運ぶ際は自身の体力と相談してください。
ちなみに、烏骨鶏が飼育されています!!
しばらく遊んでもらいました。
道の駅 西条のん太の酒蔵
阿智神社を後にし、道の駅 西条のん太の酒蔵へやってきました。
本日の車中泊ポイントです。
令和4年7月15日に開業したばかりで、非常に綺麗な道の駅でした。
翌日
翌日は、広島観光です。
この日の記事は後日、公開します。
Coming Soon
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