2024年12月4日〜6日に、山陰地方を旅してきました!!
行き先は、以下の通りです。
- 4日:山口県
- 5日:島根県,鳥取県
- 6日:兵庫県
この記事では、12月4日に見聞きしたものを紹介します。
モデルコースの参考になれば、幸いです。
明治日本の産業革命遺産

山口県での仕事を早く終えたので、いざ観光へ!
最初に訪れたのは、10月末にも足を運んだ萩市。
萩市といえば、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」です。
前回、回りきれなかった場所をメインに観光してきました。
明治日本の産業革命遺産とは?

萩市は、江戸時代の城下町の風情を残しつつ、明治維新後の近代化・産業革命の影響を受けた遺産も多く有する地域です。
長州藩の城下町として維新志士を輩出し、明治以降は富国強兵や殖産興業のもと近代化を進めました。
近代化の産物として、重工業施設は少ないものの、以下のような遺産が残されています。
- 近代化施設・建築物
- 西洋建築を取り入れた官庁・学校・商家など
- 工業・工芸技術
- 「萩焼」に代表される伝統と近代技術の融合
- 交通・物流のインフラ
- 駅舎跡や倉庫など、市場経済への移行を示す遺構
- 教育・技術普及施設
- 旧藩校・洋学塾など、近代知識の普及拠点
これらの遺産は、文化財としての保存が進められてきました。
遺産は資料館などで展示されており、観光資源として活用されています。
萩 明倫学舎

萩を観光するうえで、最初に訪れなければならないのが「萩 明倫学舎」。
ここでは・・・
- 明治維新の意義
- 幕末から明治の開国と近代産業の発展
- 長州が果たした役割
といった、萩の観光で知りたいことを網羅的に学ぶことのできる施設です。
無料エリアと有料エリアに分かれており、上記の内容を学べるのは有料エリアになります。
というわけで、入場券を購入し、いざ有料エリアへ!

有料エリアは、世界遺産ビジターセンターと幕末ミュージアムに分けられます。
前者では日本の急速な近代化を学び、後者では幕末維新期の歴史・科学技術史の実物資料を見ることができました。
世界遺産ビジターセンター

明治維新後の日本といえば、急速な近代化です。
そこで特に活躍した長州ファイブを中心に、日本がどのように発展していったのかを学ぶことができました。
長州ファイブとは、長州藩(現在の山口県)出身の5人の若者のことです。
5人の名前と実績を簡単に紹介すると・・・
- 伊藤博文
- 初代内閣総理大臣
- 井上馨
- 初代外務大臣
- 鹿鳴館外交
- 造幣局の建設
- 遠藤謹助
- 造幣局長
- 貨幣鋳造の成功
- 山尾庸三
- 工部省設置
- 工学寮の建設(東京大学工学部)
- 井上勝
- 鉄道開通(新橋〜横浜)
- 鉄道局長
といった感じになります。
この5人はイギリスへ密航し、西洋の近代文明を学びました。
これらの実績は、帰国後のものになります。
まさか、日本の大躍進が密航から始まっているとは…。
幕末ミュージアム

幕末ミュージアムでは、小川忠文氏から寄贈された6,000点以上の幕末維新期に関する貴重な資料が展されています。
展示内容は、鉄砲類や武具などの軍事資料,江戸時代の星図,伊能忠敬の象限儀,国産の顕微鏡などです。
これらは、日本屈指の規模と貴重さを誇っています。
↑のような大砲を見ているだけで男の子心が刺激されますが、バードウォッチャーの自分としては↓も見過ごせません。

幕末の光学機器がどれほどのものか、ぜひとも覗いてみたいですね。
ちなみに、世界遺産ビジターセンターではほぼ全域で写真撮影がNGでしたが、幕末ミュージアムでは写真撮影OKな場所も多々ありました!
撮影NGの展示には撮影禁止の札があるので、見過ごさないようにしましょう。
無料エリア

上述した通り、明倫館には無料エリアがあります。
無料だからと侮るなかれ。
明倫館の歴史や、萩のジオサイトなどをしっかりと学ぶことができます。
そもそも明倫館は、藩校として建てられた施設です。
藩校とは、日本の江戸時代に各藩が設立した教育機関のこと。
藩士の子弟や地域の若者に対して、学問や武士としての教養を提供するために設立されました。

要は、昔の学校みたいなものですね!
かの有名な、吉田松陰も教鞭をふるっていました。
藩校としての役割を終えたた後は、小学校として活躍!
その後、2017年3月4日に萩・明倫館として開館しました。
現在は、萩を観光するうえで中心となる施設となっています。

藩校と小学校の歴史について、詳細にパネル展示で解説されています。
隅から隅まで読みましょう。
また、萩はジオパークでも有名です。

ジオパークとは、地質学的に国際的な価値がある場所で、ユネスコが推し進めているプログラムの一つです。
世界遺産の地質学版って感じですね!
その一つに萩も入っており、萩ジオパークと呼ばれています。
ジオパークを構成する要素をジオサイトと言い、萩ではモドロ岬,高山,須佐湾などが有名です。
館内は解説パネルだけでなく、触れる展示もあります。

こういうのは、ついつい触れてしまいます。
松陰神社

明倫館を後にし、松陰神社を訪れました。
松陰神社は、幕末の重要人物「吉田松陰」の精神を祀り、その生涯や思想から学び、受け継ぐための施設です。
そもそも吉田松陰とは、幕末という激動の時代において、時代の先駆者として革新と教育に貢献した人物になります。
国を強くするための実践的な行動や思想を若者たちに伝え、その教えは明治維新という大きな流れを生み出す原動力となりました。
長州ファイブの一人である伊藤博文は、吉田松陰の教え子にあたります。
境内には、吉田松陰にまつわるものが様々ありました。
まずは、こちら。

吉田松陰歴史館です。
吉田松陰の生涯を、等身大のろう人形で再現して紹介しています。
料金は大人500円!
現金のみなので、ご注意を。
続いて、こちら。

学びの道と呼ばれる場所で、吉田松陰の名言が書かれたモニュメントが並んでいます。
どれも深い言葉であり、考えさせられましたね…。
そこらの自己啓発本を読むより、吉田松陰の名言を一つ一つ深く考えた方がよっぽど為になりますよ!
そして、忘れてはいけないのが拝殿です。

神社ですからね。
参拝しないのは、失礼というものです。
松下村塾

境内の中で、最後に訪れたのが松下村塾。
世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の1つになります。
松下村塾は、吉田松陰が愛国心や実践的な行動力を次代に伝えるために設けた私塾です。
その独自の教育方法や議論の風土は、幕末の動乱期において多くの若者たちを鼓舞し、明治維新という国家変革の原動力となりました。
塾で育まれた「国を思う心」と「行動する知」こそが、後の日本の近代国家の発展に不可欠な要素であったと言えます。
そんな松下村塾ですが、面積はたったの18.5畳!
そんな小さな場所から、多くの偉人を排出したとは…。
東進や河合塾もビックリですね。
ちなみに、排出した偉人は伊藤博文,山県有朋,品川弥二郎,山田顕義,野村靖,久坂玄瑞,高杉晋作,吉田稔麿,入江九一などが挙げられます。
伊藤博文旧宅

松陰神社から歩いて行ける距離に、伊藤博文旧宅があります。
せっかくなので、こちらも見てきました。
1854年に伊藤博文の父(林十蔵)が伊藤家の養子になったことにより、伊藤博文も入家。
1868年に兵庫県知事に赴任するまで、本拠としました。
木造茅葺き平屋建ての、約29坪の小さな家です。
1坪=2畳
一人暮らしなら文句無いですが、家族で住んでいたと思うと狭いですよね。
道の駅 湯の川

萩を離れて、道の駅 湯の川へ。
ここで車中泊するのは、3度目になります。
謎の安心感がありますね笑
今後もお世話になるつもりです。
翌日以降の記事は、しばらくお待ちください。
Coming Soon…
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