【旅行記】三番瀬・浦安市郷土博物館|干潟と漁師町・浦安の歴史を歩く

サムネ 旅行記

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前日の東京ディズニーランドに続き、2026年5月10日はベイエリア(葛南・京葉地域)旅行の二日目です。

前日は東京ディズニーランドで、現在の浦安を象徴する観光地を楽しみました。

前日は↓へ!

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一夜明けたこの日は、少し視点を変えて三番瀬と浦安市郷土博物館を訪れます。

三番瀬では春の渡り鳥を観察し、その後は浦安市郷土博物館で、かつて漁師町だった浦安がどのような歴史を経て現在の都市へと変化していったのかを学びました。

なお、この記事は三番瀬の埋め立て計画の是非や、環境保護・経済開発のどちらかの立場を論じるものではありません。

地域の歴史的な一幕として、旅の道中に感じたことをニュートラルな視点でお伝えします。

それでは、二日目の旅を振り返っていきます。

三番瀬へ歩いて向かう

三番瀬

船橋駅から5.5kmの道のり

この日の最初の目的地は三番瀬です。

最寄り駅としては二俣新町駅がありますが、私はこれまで三番瀬へ行く際、船橋駅から歩いてアクセスすることが多かったため、今回も船橋駅からスタートしました。

駅を出て、三番瀬までの距離は約5.5km。

鳥を探しながら歩けば、それほど苦になる距離ではありません。

むしろ、公共交通機関で目的地へ一直線に向かうよりも、途中の水辺や街の様子を観察できるのが徒歩移動の面白いところです。

この日は晴天。

山谷澪周辺や水辺を眺めながら南へ進み、水辺の鳥を探しつつ歩いていきます。

歩き始めてから約45分。

徐々に海が近づき、三番瀬に到着しました。

春の渡り鳥で賑わう三番瀬

ハマシギ
ハマシギ

三番瀬に到着したら、さっそくバードウォッチングを開始します。

5月上旬といえば、春の渡りの真っ只中です。

この時期の干潟は、長距離の渡りを行うシギ・チドリ類にとって重要な休息・採餌場所になります。

日本を通過するシギ・チドリ類の中には、アラスカやシベリアなどで繁殖し、冬になると東南アジアやオーストラリア方面まで移動する種も。

その距離は、片道で1万kmに及ぶこともあります。

そして、その長い旅の途中で日本へ立ち寄るのが春と秋です。

この日の三番瀬でも、ハマシギ、メダイチドリ、オオソリハシシギなどが干潟を歩き回っていました。

メダイチドリ

干潟の上を忙しなく動きながら、嘴を泥の中へ差し込んで餌を探しています。

長距離を移動する鳥たちにとって、こうした干潟は単なる「鳥がいる場所」ではありません。

次の目的地へ向かうためにエネルギーを補給する、大切な中継地点です。

干潟の上で採餌する鳥たちを眺めていると、ここからさらに北へ向かっていく彼らの旅を想像してしまいます。

一方で、現在の三番瀬を見ていると、かつては東京湾奥にもっと広い範囲で、このような浅瀬や干潟が広がっていたのだろうとも感じます。

三番瀬の埋め立て計画を振り返る

オオソリハシシギ
オオソリハシシギ:採餌中

ここで、三番瀬の埋め立て計画について少し触れておきます。

三番瀬は、千葉県市川市・船橋市沖に広がる干潟・浅瀬です。

かつて千葉県では、この海域を含む大規模な埋め立て計画が進められていました。

当初の計画では約740ヘクタールもの埋め立てが想定され、港湾施設や下水処理施設、街づくり支援用地などの整備が計画されていました。

しかし、自然環境への影響を懸念する市民や自然保護団体などから反対の声が上がり、計画は見直されていきます。

1999年には埋め立て面積を101ヘクタールとする縮小案が示されました。

その後も必要性や環境への影響などについて検討が続けられ、2002年には当時の堂本暁子千葉県知事が、県議会で101ヘクタールの埋め立てを行わないことを表明しました。

これによって、大規模な三番瀬の埋め立て計画は実質的に中止へ向かうことになります。

現在では、東京湾奥に残された貴重な干潟・浅瀬として、野鳥観察や潮干狩りなど、自然に親しむ場所として利用されています。

ここで大切なのは、三番瀬の歴史を単純に「開発と自然保護の対立」という一言だけで捉えないことだと思います。

埋め立てをめぐっては、地域の産業や暮らし、交通、都市開発、自然環境など、さまざまな要素が絡み合っています。

今回の旅行では、そうした歴史を頭の片隅に置きながら、現在の三番瀬を実際に歩いてみました。

バードウォッチャーと潮干狩り客で賑わう干潟

トウネン
トウネン

この日の三番瀬は、バードウォッチャーだけでなく、潮干狩りを楽しむ家族連れの姿も多く見られました。

野鳥を観察する人が望遠鏡を構える一方で、干潟では潮干狩りを楽しむ人たちがアサリなどを探しています。

鳥を見る場所であり、海の生きものに触れる場所でもある。

三番瀬は、こうした複数の利用が共存している場所なのだと実感しました。

三番瀬はラムサール条約登録湿地ではありませんが、野鳥観察や潮干狩りなどを通して、人が自然と関わる「ワイズユース」を感じられる場所でもあります。

春の渡り鳥を眺めながら干潟を歩いていると、都市部にこれだけの環境が残っていることの面白さを改めて感じました。

ふなばし三番瀬環境学習館へ

ふなばし三番瀬環境学習館

鳥と海の生きものアートフェスティバル2026

サギ類ステッカー
サギ類のステッカーを購入:逆さに持っていることに気付かなかった

鳥見と干潟の散策を楽しんだ後は、ふなばし三番瀬環境学習館へ向かいました。

この日は「三番瀬 鳥と海の生きものアートフェスティバル2026」が開催されていたので、こちらも見ていきます。

知り合いが出展していたこともあり、会場ではステッカーを購入しました。

普段から鳥や自然に関わっている身として、こうしたイベントで知り合いの作品を見るのは楽しいものです。

光学機器メーカーのブースも見学

さらに屋外では、KOWAさんやハクバさんなど、普段からお世話になっている光学機器関係のメーカーも出展していました。

知っている方が担当されていたので、いろいろな双眼鏡を気軽に試させてもらいます。

私が普段使用している双眼鏡は、KOWAのGENESIS 33です。

普段使っている双眼鏡と別の機種を見比べてみると、自分の双眼鏡の良さを改めて実感する一方で、「これもあったら便利だな」と思う機種も出てきます。

双眼鏡というものは不思議なもので、覗けば覗くほど欲しいものが増えていきます。

バードウォッチングでは鳥そのものを見るのが目的なのに、いつの間にか光学機器まで気になってくるのですから困ったものです。

まぁ、抜け出せないから沼と呼ばれているのでしょう。

環境学習館を後にした後は、もう一度干潟を散歩してから、次の目的地へ向かうことにしました。

二俣新町駅

二俣新町駅までは約3km。

ここから京葉線に乗り、新浦安駅へ移動します。

次の目的地は、今回の旅で特に楽しみにしていた場所です。

浦安が現在のような都市になる前、どのような町だったのか。

海とともに暮らしていた人々は、どのような歴史を歩んできたのか。

それを知るため、浦安市郷土博物館を目指します。

浦安市郷土博物館で浦安の歴史を学ぶ

浦安市郷土博物館

新浦安駅から浦安市郷土博物館へ

新浦安駅で京葉線を降り、ここから浦安市郷土博物館を目指します。

新浦安駅

駅から博物館までは約1.7km。

私にとっては軽めの散歩といった距離です。

境川沿いを歩いていると、オナガの姿も見つけました。

オナガ

前日は東京ディズニーランドを歩き、この日は三番瀬でシギ・チドリ類を観察していますが、浦安の街中でも鳥を探してしまうのは、もはや旅行中でも変わりません。

しばらく歩いて、浦安市郷土博物館に到着しました。

ここを訪れるのは約10年ぶりです。

以前にも訪れたことがありますが、今回はリニューアル後の展示をまだ見ていなかったため、復習も兼ねて再訪しました。

今回の旅では、前半に三番瀬で現在の干潟を見てきました。

そして後半では、浦安市郷土博物館で「かつての浦安」を学びます。

この組み合わせが、今回の旅行では非常に興味深いものでした。

海とともに発展した浦安

浦安市郷土博物館

浦安市郷土博物館の展示では、現在の浦安からは想像しにくい、かつての漁師町としての姿が紹介されています。

現在の浦安といえば、東京ディズニーリゾートや大規模な住宅地、ホテルなどを思い浮かべる人が多いでしょう。

しかし、もともとの浦安は、堀江・猫実・当代島を中心とした海辺の町でした。

江戸時代には、江戸との水運が発達し、魚介類や塩などが行き交いました。

浦安の歴史を大きくたどると、次のような流れになります。

  1. 江戸時代の水路整備と新田開発
  2. 塩づくりや漁業による地域の発展
  3. 堀江・猫実・当代島の3村が合併して浦安村が成立
  4. 漁師町・水産物流通基地としての発展
  5. 戦後の高潮、公害、地盤沈下
  6. 漁業権の一部放棄と海面埋め立て
  7. 東西線開通による住宅都市化
  8. 東京ディズニーリゾートなどを含む現在の都市形成
  9. 東日本大震災と液状化被害
  10. 防災や環境を意識した成熟都市への移行

こうして並べてみると、浦安の歴史は単純な「漁師町から都会になった」という話ではありません。

海から恵みを受け、同時に高潮や公害などの問題にも直面し、その都度、町の方向性が変化してきたことが分かります。

江戸時代の浦安と水運

浦安市郷土博物館
実際に足を運んでほしいので、資料はあまり貼らないようにします。

特に興味深かったのが、江戸時代の浦安についての展示です。

徳川家康の関東入府後、行徳で生産された塩を江戸へ運ぶため、小名木川や横川などの水路が整備されました。

水路は単に塩を運ぶためだけのものではありません。

浦安周辺で採れた魚介類を江戸へ運んだり、農業用水を供給したり、沿岸の低湿地を新田として開発したりする役割も担っていました。

つまり、水路の整備によって浦安と江戸との経済的な結びつきが強くなり、それが地域の発展にもつながったわけです。

また、かつて塩田として利用されていた土地が、堤防や用水の整備によって新田へ転換されていったことも紹介されていました。

浦安は最初から漁業だけで成り立っていた町ではなく、塩業、農業、水運、漁業などが組み合わさりながら発展していった地域だったことが分かります。

漁師町から都市へ変わった浦安

浦安市郷土博物館
稚貝を取らない仕組みも体験できます。

水産物流通基地としての繁栄

浦安の漁業についても、かなり詳しく展示されています。

東京湾と江戸川河口に近い浦安では、さまざまな魚介類が採れました。

しかも浦安は、単に魚介類を採る場所だったわけではありません。

東京湾内で採れた水産物が集まる流通基地としても機能していました。

魚介類を扱う問屋、卸売業、輸送業、加工業など、漁業を中心としてさまざまな仕事が成立していたのです。

なかでも興味深かったのが、アサリやハマグリなどの貝類です。

江戸川河口では稚貝が自然に発生し、それを集めて東京湾内の各地へ供給する仕組みがありました。

さらに成長した貝が浦安へ戻ってきて、そこで加工され、東京へ出荷されるという流れもあったそうです。

マイワシ
マイワシ:もちろん魚も取れていたとのこと

浦安が東京湾の水産物流通において、かなり重要な役割を担っていたことが伝わってきます。

キティ台風と「海」に翻弄された町

浦安市郷土博物館

一方で、海は浦安に恵みだけを与えてくれたわけではありません。

1949年8月31日、キティ台風によって東京湾に高潮が発生し、浦安では14か所の堤防が決壊しました。

町のほぼ全域が濁流にのみ込まれる大きな被害となり、住宅や道路、農地などが浸水しました。

その後、町民は「堤防は、我等の生命線」を掲げ、コンクリート製堤防の建設を求める運動を展開します。

そして1955年、念願だった堤防が完成しました。

この歴史を知ると、浦安にとって「海」は単純に美しい自然環境というだけではなく、生活そのものに直結する存在だったことが分かります。

黒い水事件と漁業環境の悪化

浦安市郷土博物館 黒い水事件

さらに浦安の歴史を大きく変えた出来事が、1958年に発生した「黒い水事件」です。

本州製紙江戸川工場から排出された黒い工場排水が漁場へ流れ込み、魚介類や漁場に大きな被害をもたらしました。

当時の浦安にとって、漁業は町の基幹産業です。

その漁業が公害によって大きな打撃を受けたことは、町の将来そのものを揺るがす出来事だったのでしょう。

展示では、被害に対して漁師たちが集団で抗議し、国会議事堂や東京都庁などへ陳情したことも紹介されています。

浦安の歴史を追っていくと、高潮、公害、地盤沈下といった問題が次々と登場します。

そして、そのたびに「これから浦安をどうするのか」という選択を迫られてきたことが分かります。

海面埋め立てと都市化

その後、浦安では海面埋め立てが進められていきます。

漁業環境の悪化や財政難、都市開発など、さまざまな事情が重なる中で、漁業権の一部放棄が行われました。

1962年には、浦安にあった2つの漁業協同組合と千葉県との間で、漁業権の対象区域を縮小する協定と損失補償に関する協定が締結されています。

これは浦安の歴史における大きな転換点です。

長く続いてきた漁業を一部手放し、海を埋め立てて新しい土地をつくる。

現在の浦安に暮らす人からすると、住宅地や道路、商業施設が並ぶ景色は当たり前ですが、その土地の多くが、かつては海だったことを改めて実感します。

そして、この都市開発の先に、現在の東京ディズニーリゾートを含む浦安の街が形成されていきました。

東京ディズニーランドの街になるまで

ディズニーランド

東西線開通とベッドタウン化

浦安の都市化を大きく後押ししたのが、1969年の東京メトロ東西線開通です。

東京メトロ東西線
東京メトロ東西線

浦安駅が開業し、東京方面へのアクセスが大幅に改善されました。

それまで東京に近いにもかかわらず交通の便が十分ではなかった浦安は、東西線の開通によって東京の通勤圏として注目されるようになります。

住宅地の開発が進み、人口も増加。

それまで残っていた農地も、次第に住宅地へと姿を変えていきました。

こうして浦安は、漁業や農業を基盤とする町から、東京へ通勤する人々が暮らす住宅都市へと変化していきます。

オリエンタルランドと浦安の変化

ハマシギ夏羽とダイゼン

そして、現在の浦安を語るうえで欠かせないのが、オリエンタルランドによる開発です。

1950年代後半から1960年代にかけて、浦安では財政難や漁業環境の悪化などを背景に、町の将来像が大きく変化していました。

その中で大型遊園地構想が浮上し、1960年には旧江戸川河口の町有地「大三角」が売却されます。

この動きが、その後の大規模な都市開発へとつながっていきました。

ここで、今回の旅をしていて個人的に強く感じたことがあります。

私は干潟で活動しているため、「干潟や海を埋め立てたオリエンタルランドは悪い」と言われることがあります。

もちろん、埋め立てによって失われた環境があること自体は事実です。

一方で、当時の浦安が置かれていた状況を考えると、オリエンタルランドによる開発だけを切り取って評価することにも違和感があります。

キティ台風による甚大な被害、黒い水事件による漁業被害、地盤沈下、財政難、漁業環境の悪化。

そうした問題を抱えていた浦安が、その後どのような町を目指すのか。

その選択肢の一つとして都市開発が進み、その結果として現在の浦安が形成されていったわけです。

「干潟を埋め立てた」という一点だけを見れば、評価は簡単かもしれません。

しかし、歴史はそんなに簡単ではありません。

もし当時の開発を否定するのであれば、

「では、キティ台風と黒い水事件の後の浦安を、どのように復興させればよかったのか」

というところまで考える必要があるのではないでしょうか。

自然環境を守ることは大切です。

同時に、そこに暮らす人々の生活や産業、災害への対応、地域経済について考えることも欠かせません。

歴史を知らずに一部分だけを切り取って評価するのではなく、当時の人々が置かれていた状況まで含めて考える。

これは、干潟や野鳥に関わる自分自身にとっても、再確認することができました。

現在の浦安と三番瀬を見て旅を終える

モズ
モズ

埋立地にも生まれた新しい自然

博物館では、埋め立て後の浦安に形成された自然環境についても紹介されていました。

現在の浦安では、街路樹や公園、住宅地などに多くの植物が植えられています。

元町には古くからの寺社や樹木が残り、中町では埋め立て後に植えられた樹木が成長しています。

さらに新町には、クロマツやトベラ、タブノキ、マテバシイなど、海風や塩害に比較的強い植物が多く植えられています。

こうした環境を利用して、ムクドリやコゲラ、オナガ、モズ、カワラヒワなど、都市環境に適応した鳥たちも暮らしています。

海辺では、季節によってコアジサシやシギ類、冬にはスズガモなども見られます。

コアジサシ
コアジサシ

つまり、埋め立てによってできた都市にも、人の手によって植えられた緑が成長し、そこへ生きものが入り込むことで新たな環境が形成されています。

これは、自然環境を考えるうえで非常に興味深いポイントです。

東日本大震災と液状化

一方、埋め立てによって形成された都市ならではの課題もあります。

2011年3月11日の東日本大震災では、浦安市域の約86%で液状化が発生しました。

道路や宅地から泥水や噴砂が発生し、マンホールが浮き上がるなど、大きな被害が生じています。

海を埋め立てて広げてきた浦安だからこそ、地盤という新たな課題とも向き合うことになったわけです。

博物館の展示を見ていると、キティ台風から東日本大震災まで、浦安の歴史には災害との戦いが何度も登場します。

海から陸地を広げることで都市として発展した一方、その土地を安全に維持するための努力も続けなければならない。

浦安の歴史は、開発だけでなく、防災の歴史でもあるのだと感じました。

三番瀬と浦安をつなげて考える

ダイシャクシギ
ダイシャクシギ

今回の旅行では、午前中に三番瀬を歩き、午後に浦安市郷土博物館を訪れました。

この二つを続けて訪れたことで、単独で見るよりも面白い旅になりました。

三番瀬では、現在も春の渡り鳥が干潟を利用しています。

一方、浦安市郷土博物館では、かつて浦安の人々が海から魚介類を得て、漁業や水産物流通を営んでいた歴史を学びました。

さらに、その海が公害や災害、都市開発とも深く結びついていたことも分かります。

現在の浦安と三番瀬は、同じ東京湾奥にありながら、それぞれ異なる歴史を歩んできました。

だからこそ、実際に現地を歩いて、鳥を見て、博物館で歴史を学ぶという順番が面白かったのだと思います。

展示を一通り見終え、浦安市郷土博物館を後にしました。

新浦安駅まで歩いて戻り、京葉線に乗車。

この日の旅を終えて、千葉の実家へ帰りました。

終わりに

今回の一泊二日のベイエリア旅行では、前日に東京ディズニーランドを訪れ、現在の浦安を象徴する観光地を楽しみました。

そして二日目には三番瀬を訪れ、春の渡り鳥を観察。

その後、浦安市郷土博物館で、浦安が漁師町から現在の都市へと変化していった歴史を学びました。

今回、特に印象に残ったのは、浦安の歴史が「海」と切り離せないことです。

漁業によって栄えた一方、高潮や公害、地盤沈下などの問題にも直面し、最終的には漁業権の一部放棄と海面埋め立てによる都市開発へと進みました。

その結果として生まれた現在の浦安には、東京ディズニーリゾートや住宅地、商業施設があり、さらに年月を経て成長した緑地には野鳥も暮らしています。

そして、その都市の一方で、東京湾には現在も三番瀬のような干潟・浅瀬が残されています。

「自然を守るか、開発するか」という単純な二択ではなく、それぞれの土地がどのような歴史を歩んできたのかを知ることが大切なのだと感じた旅でした。

三番瀬で渡り鳥を眺め、浦安市郷土博物館で浦安の歴史を学ぶ。

前日の東京ディズニーランドとはまったく違った浦安の姿を見ることができ、非常に満足のいく一泊二日の旅となりました。

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