※本記事にはアフィリエイト広告が含まれています。
大阪城は、豊臣秀吉が築いた城として有名ですが、実は織田信長や徳川家康、真田幸村など、さまざまな歴史上の人物が関わっています。
この記事では、大阪城に関わった主な登場人物と、それぞれがどのような役割を果たしたのかを、小学生にも分かりやすいように紹介します。
さらに、豊臣時代から徳川時代、現在の大阪城へと続く歴史や、天守閣・大手門・蛸石などの見どころ、知っておくと面白い雑学も解説します。
行列をスキップ!大阪城天守閣のWEBチケット
大変混雑する現地チケット売り場の列に並ぶ必要なし!Klook(クルック)で事前購入しておけば、スマホで直接スムーズに入場できます。
大阪城に関わった主な登場人物

大阪城の歴史を理解するには、まず「誰が、どのように大阪城と関わったのか」を知ることが大切です。
大阪城が築かれる前から現在に至るまで、特に重要なのが織田信長、豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康、徳川秀忠、真田幸村、黒田官兵衛の7人です。
- 織田信長:
- 大阪城ができる前の石山本願寺と戦った人物です。
- 豊臣秀吉:
- 1583年に大阪城の築城を始めた人物です。
- 黒田官兵衛:
- 豊臣時代の大坂城の築城に関わった武将です。
- 豊臣秀頼:
- 秀吉の息子で、豊臣家最後の大坂城主となった人物です。
- 徳川家康:
- 大坂の陣で豊臣家を滅ぼした人物です。
- 徳川秀忠:
- 徳川時代の大坂城を再建した人物です。
- 真田幸村(信繁):
- 大坂の陣で豊臣方として戦い、真田丸を築いた武将です。
織田信長
織田信長は、大阪城が築かれる前のこの場所にあった石山本願寺と深く関わった人物です。
石山本願寺は浄土真宗の大きな拠点で、周囲には寺内町が形成されていました。
信長はこの場所をめぐって石山本願寺と11年に及ぶ石山合戦を戦い、1580年に石山本願寺が明け渡されました。
つまり、大阪城の歴史は秀吉が城を築いた1583年から始まるのではなく、その前の石山本願寺の時代までさかのぼることができます。
豊臣秀吉
大阪城の歴史を語るうえで、最も有名な人物が豊臣秀吉です。
秀吉は1583年に大阪城の築城を始め、天下統一を進めるための重要な拠点として大規模な城を築きました。
豊臣時代の大坂城は、黒漆塗りの壁や金の装飾などを取り入れた、豪華で壮大な城だったとされています。
現在の大阪城からは想像しにくいほど、豊臣時代の大坂城は豪華絢爛な城だったことが大きな特徴です。
黒田官兵衛
黒田官兵衛は、豊臣秀吉に仕えた武将で、築城にも優れた人物として知られています。
豊臣期大坂城の築城では工事の総指揮にあたる築城奉行を務め、深い堀や強固な石垣を備えた城づくりに関わりました。
大阪城を歩くと大きな石垣や堀を見ることができますが、こうした防御の仕組みを考えるうえでも、黒田官兵衛の存在は重要です。
豊臣秀頼
豊臣秀頼は、豊臣秀吉の息子で、秀吉の死後に大坂城を受け継いだ人物です。
秀吉が亡くなった後も豊臣家は大坂城を拠点としていましたが、徳川家との対立が深まり、1614年から1615年にかけて大坂の陣が起こります。
最終的に豊臣方は敗れ、豊臣秀頼は母の淀殿とともに大坂城で自害しました。
1615年の大坂夏の陣によって豊臣時代の大坂城は焼失し、豊臣家の時代も終わりを迎えました。
徳川家康
徳川家康は江戸幕府を開いた人物で、大坂の陣では豊臣家と戦いました。
1614年の冬の陣と1615年の夏の陣を経て、徳川方が豊臣方を破り、大坂城も焼失しました。
その後、大阪城は豊臣家の城から徳川幕府の城へと大きく姿を変えていきます。
徳川秀忠
徳川秀忠は徳川家康の息子で、江戸幕府の第2代将軍です。
徳川幕府は1620年から大坂城の再建を進め、西国の大名などに工事を担当させました。
この大規模な工事によって、豊臣時代の城を埋め立てた上に、より大きな石垣や堀を備えた徳川時代の大坂城が築かれました。
そのため、現在、地上で見る大阪城の石垣や堀の多くは、秀吉の時代ではなく徳川時代に造られたものです。
真田幸村(信繁)
真田幸村は、一般的には「真田幸村」の名前で知られていますが、歴史上の名前は真田信繁です。
大坂の陣では豊臣方の武将として戦い、大阪城の南側に「真田丸」と呼ばれる出城を築いたことで知られています。
真田丸は徳川軍を迎え撃つための重要な拠点となり、真田幸村は大坂の陣を代表する武将として現在も多くの人に知られています。
大阪城は3つの時代で姿を変えた
大阪城の歴史を分かりやすく整理すると、石山本願寺の時代、豊臣時代、徳川時代、そして現在の復興天守へと大きく変化しています。
特に重要なのは、「秀吉が建てた大阪城が、そのまま現在まで残っているわけではない」という点です。
- 石山本願寺の時代:
- 大阪城が築かれる前に、この場所には浄土真宗の拠点がありました。
- 豊臣時代:
- 1583年から秀吉が大坂城を築き、天下統一の拠点としました。
- 徳川時代:
- 大坂の陣後に徳川幕府が城を再建しました。
- 現在:
- 1931年に市民の寄付によって天守が復興され、内部は歴史博物館になっています。
徳川時代の天守は1665年に落雷で焼失し、その後は長い間、天守がない状態が続きました。
現在の天守は1931年に再建された3代目の天守で、鉄筋コンクリート造の建物です。
そのため、現在の天守閣は歴史的な天守がそのまま残っているものではなく、昭和時代に復興された建物だと分かります。
大阪城の見どころはどこ?

大阪城を訪れたら、天守閣だけでなく、城を守るために造られた門や石垣、堀にも注目すると歴史をより身近に感じられます。
天守閣
大阪城のシンボルといえば、中央にそびえる天守閣です。
館内では豊臣秀吉の生涯や大坂の陣など、大阪城に関係する歴史資料を見ることができます。
3階には黄金の茶室の原寸大模型があり、7階ではジオラマ「からくり太閤記」を見ることができます。
8階は展望台になっており、大阪市街を一望できます。
大手門と多聞櫓
大手門は大阪城の正門で、敵が簡単に城内へ進めないように工夫された構造になっています。
特に注目したいのが「枡形」と呼ばれる空間で、敵がまっすぐ進めないように通路を折れ曲がらせています。
多聞櫓からは城へ近づく敵を上から攻撃できるようになっており、昔の城が単に大きな建物ではなく、防御の仕組みを持っていたことが分かります。
巨大な石「蛸石」
大阪城には非常に大きな石が使われており、その中でも有名なのが桜門を入った枡形にある「蛸石」です。
蛸石は城内最大の巨石で、表面積は約36畳、重量は約108トンとされています。
石の表面にタコのように見えるシミがあることから、この名前が付けられました。
約108トンもある巨大な石を、昔の人々がどのように運んだのかを想像しながら見ると、大阪城観光がさらに面白くなります。
小学生にもおすすめの大阪城の面白い雑学

大阪城には、歴史を知らない人でも「なぜ?」と思える面白いポイントがたくさんあります。
特に小学生なら、人物の名前を覚えるだけでなく、城の石垣や天守のデザインなどから歴史を考えてみると楽しみやすいです。
- 今見えている石垣は秀吉のものではない:
- 徳川時代に豊臣時代の城を埋め、その上に新しい城を造ったため、秀吉時代の石垣は地下に残されています。
- 現在の天守は豊臣風と徳川風が混ざっている:
- 1~4階は白壁の徳川風、5階は黒壁に金の装飾を施した豊臣風のデザインになっています。
- 蛸石は約108トン:
- 小豆島から船で運ばれたとされ、当時の人々が大勢で運搬したと考えられています。
- 黄金の茶室は持ち運べた:
- 秀吉の黄金の茶室は分解して運べる構造で、京都などへ運んで茶会を開いた記録があります。
- 大砲が時刻を知らせていた:
- 天守閣前の「号砲」は、明治時代から大正時代にかけて正午を知らせるために使われていました。
こうした雑学を知ってから大阪城を見ると、単に「大きなお城を見る」という観光ではなく、建物の一つひとつに注目できるようになります。
特に「現在見えている石垣は秀吉が造ったものではない」という点は、大阪城を理解するうえで覚えておきたいポイントです。
行列をスキップ!大阪城天守閣のWEBチケット
大変混雑する現地チケット売り場の列に並ぶ必要なし!Klook(クルック)で事前購入しておけば、スマホで直接スムーズに入場できます。
まとめ
大阪城には、織田信長、豊臣秀吉、黒田官兵衛、豊臣秀頼、徳川家康、徳川秀忠、真田幸村など、さまざまな歴史上の人物が関わっています。
大阪城の歴史を知るときは、「秀吉が築いた城」だけではなく、その前の石山本願寺、豊臣家と徳川家が戦った大坂の陣、そして徳川時代の再建まで見ることが大切です。
現在の大阪城は1931年に復興された天守で、館内では豊臣秀吉や大坂の陣に関する歴史を学ぶことができます。
また、大手門や多聞櫓、巨大な蛸石、堀などにも城を守るための工夫が残されています。
人物の関係や大阪城がたどった歴史を知ってから訪れると、天守閣や石垣を見るときにも「これはどの時代のものなのか」と考えながら楽しめます。


コメント